再開の話

今日はZoomの無料セミナーに参加していた。

元々は怪しげなコミュニティで知り合った方だが、個人事業主や法人向けのコンサルをされているまっとうな人である。本日、無料で「ビジネスで成功するメンタルを手に入れるセミナー」というものを開催されていた。

で、『無料だし、参加してみるか』という軽い気持ちで参加した。

今日は仕事帰りに歯医者に行き、着色汚れを取った後、もらいものの玄米を炊きつつ、洗濯機を回し、風呂の湯を貯めながらセミナーに参加するという、お世辞にも真面目とは言い難い参加の仕方をしていた。

「自己紹介をしてください」

おっと!

これは想定外。ラジオ的な参加は難しそうだ。

既に風呂に入っていたので、全裸で指の水滴だけ拭き取り、スマホを操作。

一番に自己紹介する。これはやる気の現れ…ではなく、一番に自己紹介することで、その後の参加者の自己紹介時間中に風呂タイムを満喫するためだ。

作戦は功を奏し、他の参加者の方が自己紹介をされている間、存分に湯をかぶった。

そして、湯船の中で何となく講義を聞き、風呂を上がる。

洗濯物を干しながら、夕飯の用意をして、

「1年後どうなっていたいか?」

みたいなワークをこなす。

玄米ご飯と納豆をかき込みながら、ながらで受講していることに罪悪感を覚え始める。

何か…良くないな。

ノートとペンを取り出し、真面目にワークに取り掛かる。

1年後はこうなっていて、こういう心境…だな。

ノートに書く。

書いていると、実現できそうな気がしてくると同時に、最近の俺は忙しさにかまけて何もやっていなかった事を思い出していた。

最後の質問タイムに、一応発言してみた。

『ブログを挫折していますが、質に満足するまで掲載しないか、
 質は低くても掲載を優先すべきか、どう思いますか?』

という、割と真面目な質問をした。というのも、お金稼ぎのコミュニティのブログの先生は、

「質に徹底的にこだわるべき。質の悪い記事の掲載は意味がないからすべきではない」

という趣旨の話をされていたからだ。

それはそうだと思うが、質にこだわると掲載できない場合がある。

そして記事を書くハードルが上がってしまうため、ブログを書く作業自体を敬遠してしまい、結果、何も残らない。という状態になってしまっていた。それが今である。

と言って、ゴミみたいな記事を書き連ねても、ごみ溜めが大きくなるだけで、意味がないのではないか…。

という具合だったので、この講師の先生はどんな答えを出すのか、興味があった。

その回答は、

「最初は質を求めるな。とにかく毎日書く。なぜなら習慣化が目的だから」

というものだった。

なるほど。

これは使える。

いつも7割くらいのレベルの記事を書いているつもりだが、5割や6割の出来でも掲載を続けることに意味がある。

1か月後の記事のレベルは、同じ6割の感覚でも恐らくパワーアップしている。とそんな感じの話だった。

なので、サムネイルだの、段落だの面倒くさい事は置いておいて、とりあえず毎日、30日間続けてみることを目的に書いてみよう。

大体ほぼ誰も見ていないし、俺の自己評価が7割だろうと6割だろうと、一体何の意味があるのか。

そもそも初見、一発目に書いた文章は、まぁ6割は書けている。

そんなに書き直さないじゃん。って話だし。

最近、仕事や先輩のお手伝い、加えて自分自身の魂的なものの浄化、

役人としての人間関係、毛髪、その他もろもろの出来事が押し寄せており、

体調もおかしくなっていた。

俺の生きる目的は、自由になることだ。

自由になる。これだけだと抽象的だが、別に地下役人を続けていてもいいが、続けるも辞めるも自分の意志で決められる状態、仕事や経済事情も含めて、というか、そんな状態。

どっちでもいけるぜ。的な。

それを実現するには、役人とは別の柱が必要だ。

それはブログかも知れないし、ギターかも知れない。はたまたパソコンやネットワークの設計かも知れない。

何にしても、今やるべきは文章を書くこと、のような気がするので、書く。

そんな感じであります。

…何だこの終わり方。まぁいい。60点でいいんだから。その60点も自己評価だから。と言い訳がましく今日はおしまい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました