吉日に書き始める、とことん怪しい見えない力の話

とことん怪しい見えない力の話

さて今日は、春分の日である。

今日はいい日であるらしい。一粒万倍日とか吉日が重なっているそうだ。

怪しい界隈の仲間たちが、「今日は宇宙元旦ですよ!」などと言っていた。

宇宙元旦ってなんだ?

まぁいい。

意味が分からないものを全部切り捨てるのは心が狭い考え方だろう。

宇宙元旦は何かを始めるのにとても良い日だという。

あ、そう。

では何か始めるものは

…ない。

いや、そういえば始めるものがあったな。

既にブログは始めているし、そうだなぁ、ブログに新しいカテゴリでも作るかな…。

このブログは、地方公務員向けに、こんな生き方をしている奴もいるんだぜ。

そして、公務員だって自由で豊かになれるんだぜ。って伝えられたらいいかな。

みたいな思いで書いている。

ありていに言えば、公務員でもできるお金儲けの方法、もちろん合法なやり方で。

ということを実践しながら書いて、実際に俺が豊かになって行ければ、

見る人も参考になるかも知れない。

何より俺が豊かになったらハッピーではないか。

みたいに思っている。

ハッピーって単語、初めて書いたかもしれない。

お金は物質的な豊かさの象徴であるが、豊かさにはお金だけでは測れないものもある。

物質的でないもの、精神的な豊かさである。

具体的には、家族や友人職場の同僚とのつながりなどの人間関係、

そして、神社仏閣等の見えない、よくわからない存在の恩恵も豊かさである。

さて、怪しい話になってきた。

このブログでは神様とか仏様とか、見えない力の話はしないつもりだったが、神社仏閣を巡る仲間たちに、ブログを始めた話をしたとき、こんなことを言われた。

「そういう話を書いたらいいのに」

「自己評価が低いから、自分の価値に気付けてないですよ」

「その体験している人、めちゃくちゃ貴重ですよ」

ふむ。

そういうものか。

確かに、見えない力系の話は、昔はまったく信じていなかった。

何ならそんな話をする人たちは異常者だと思っていたくらいだった。

でも心のどこかで、神社仏閣には何かがあるような、恐れ多い気持ちも持っていた。

あと、剣と魔法の世界みたいな、ファンタジー的なものが実在したらいいのになぁ。

と思っている節もあった。

そんな思いを抱えつつも、見えない力など現実にはあり得ない。

という結論を己の信念にして、心霊、UFO等のスピリチュアル系の話はすべてシャットアウトして生きてきた。

ところが数年前、縁あってそういう力を持っている人と知り合う機会を得た。

術を学び、修行、という程でもないが、祝詞を唱えたり近所の神社、氏神さんに通ったりして、見えない力系の怪しげな世界の扉を開いたのである。

最初は当然、半信半疑。

しかし毎日神社に通っていると、僅かずつだが変化が出てくる。

心が整うというか、自分を見つめ直す時間が増え、人生が好転する雰囲気を得られるのだ。

あくまで雰囲気であり、宝くじが当たったり、急に健康体になったりしたわけではない。

それでも神社に行き、姿勢を正し、神様の前で願いを奏上したりすると、

イヤでも自分を見つめ直すことになる。

俺は本当は何がしたいのか。そんな風に考えるようになった。

もちろん、それまでも自分が何をしたいのかはわかっていたつもりだったが、

深く考えると、ただ目の前の快楽を求めているだけで、本質的なものからは目を逸らしていると気付いた。

何かにつけて怒ったり恨んだりして、それは人間だから仕方がない。

いやむしろ、そうするのが人間の本分のように思っていた。

でもそうではないらしい。

神社で神様の前に立つと、単にお金が欲しいとか、彼女が欲しいとか、タワーマンションに住みたいとか、どれも嘘ではないが、本気の願望ではないと気付く。

それらの願望の元になっている原動力みたいな欲求がある。

僕の場合は、新しい体験がしたい。みたいなのが、本気の願望に近いと思っている。

お金や彼女や、タワーマンションは過程で得られるものであって、

目的じゃないのである。

言ってることが変だろうか。変かも知れないが、そういう事を考えるようになった。

これだけでも、神社に通った価値はあると思う。

変な事ついでに、神社には、狛犬や龍、狐、犬、猿などの石像があったりする。

これらは、眷属といって、神様に使える手下みたいな存在である。

一神教でいえば、天使みたいな存在、だと思う。

あるとき、「眷属である龍を降ろして力を借りましょう!」

みたいな企画に参加したことがある。

龍ってなんやねん!って関西人でもないのに関西弁で言いたくなってしまうが、

龍は、龍である。ドラゴンです。

そんなものが存在するのか、でもいたら面白い。

そんなわけで、龍を降ろす修行もしてみた。

結論、俺に龍は降りなかった。

しかし・・・狐は降りてきた。

いよいよおかしな話になってくるが、実際に降りてくれたんだから仕方がない。

正確には動物の狐ではなくて、眷属のお稲荷さんである。

こんなことがこの世にあったのか。

今まで信じていた世界が崩壊を始めている。

これはとても良い崩壊である。

どこかの偉い学者が、「神は存在しない」と言っている。とか、

神話の世界は物語に過ぎないとか、

およそ学校や社会ではそのように教わってきた。

そんな世間のいる・いない論争など、己の経験の前には無力である。

俺には稲荷が降りた。

この事実だけで十分なのである。

龍を降ろす。という、とことん怪しい企画に参加したのも、この体験をしたかったからである。

もちろん、稲荷が降りたという体感も、脳が作り出した幻かも知れない。

精神がバグって、そう思っているだけである可能性もある。

だが、そんなことはどうでも良いのだ。

人間には意識がある。でも意識は科学的には解明されていない。確か。

ただのシナプスの大量結合した情報ネットワークが、意識であると思い込んでるだけとかいう話もあったと思う。

でも、誰もが「意識はそりゃあるでしょう。」って思えると思うが、

それと同じ感じで、自分に起こったことは信じられる。

事実であると、俺は思い込んでいる。

まぁ、そんな感じで、急にめちゃくちゃ怪しい話をしてしまったが、

めちゃくちゃ怪しい体験をしているわけです。

そんな話もこれから書いて行こうと思います。

おわり。

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