朝起きて、顔を洗い、出掛ける支度をしていた。
眼鏡を外していたが、はて、どこへやったか。
顔を洗うときに洗面台に置いたままにしていたので、取りに向かう。
眼鏡のないまま、鏡に映る自分の顔をみると、違和感がある。
左の目尻から斜め下にかけて、線が入っている。
変な寝方をしたから、跡が付いたのかな…最初はそう思っていた。
指で触ってみると、線はくぼんでいる。
これは…シワじゃあないのか!
確かに最近、小じわが気になってきてはいたが、
これは、大じわである。
たぶん、眼鏡の蔓の影のように見えるので、これまで気になっていなかったのだが、
ずっとこいつは潜んでいやがったのだ…。
指で触ってみると、ちょっとした凹みになっている。
筋肉の始まりの部分がここにあるのだろうか、溝になって浮き出ている、
いや、浮き窪んでいるというべきか。
何かショック。
大体、お肌がどうとか、シワがどうとか、そこまで気にする方ではなかったのだが、
(ハゲは気にする。あれは別格である)
最近、心境の変化があったせいか、いやもろにそのせいだと思うが、
見た目とか、年齢とか、妙に気になるようになってしまった。
気にしたところで若返るわけではない。
というかそもそも、「老い」をそこまで重要視していなかった。
『俺は若いのだ』
という、根拠はともかくとして、自信を持っていた。
なのだが…最近ちょっと気になる子がいる。
少し話したことがある程度で、一緒に食事すら行けていない。
にもかかわらず、
『もしかしたら…』
という思いが出てしまった。
それからというもの、そういう方面の心の防御力が0になってしまった。
こんな着古した衣服ではダメなのでは。
どこからともなく変な匂いがするが、これを発しているのは自分なのでは。
世間体みたいなものは、あまり気にしない人間だと思っていたが、
全く逆転し、やたらと考えるようになった。
もうお前は50前の死に掛けなのだ。分をわきまえろ。
今更何を望むのか。ただの衝動的な欲求で、それは本当に欲しいものではなかろう。
お前が本当に欲しいものなどもうないのだ。
のような感じで、恐ろしいほどしょうもない、
以前の俺なら一笑に付すようなことを、気付けばあれこれ考えてしまっている。
そして、仕事で受ける心の冷えとは違う種類の寒さを感じるのである。
何か、心がめちゃくちゃ弱くなっている。
エネルギーの先生に会う機会があって、不覚にもこの話をしてしまったのだが、
「欲しくないことないでしょう。失うのが怖いだけですよ」
と言われた。
…なるほど、そうかも知れない。というか、
そうだな。失うのが怖いのだ。
まだ何も得ていないけれど、そうではなくて、嫌われたり無関心であるという事実がわかってしまったとき、自分の心が痛むことが怖いのだ。
俺は心の強い子だと自分で思っていたけどなー。
全然だったな。
弱いところに弾が当たらないように隠していただけだったんだな。
世渡りしていくにはその能力も要るとは思うけど…。
寄生獣って漫画に、痛みを怖がる人間や動物に対して「痛がり屋」って言葉で表現するシーンがあった。
あまり自覚していなかったけど、俺も相当な「痛がり屋」だな。
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