残業を終え、馴染みの定食屋のテーブルに座る。
注文を聞かれることはない。
店員に無視されているのではなく、何も言わなくても常連なので日替わりの定食が出てくるのだ。
隣にテーブルがあるが、
低めのパーテーションで仕切られていて、
客の顔は見えない。
どうやら男女で食事に来ているらしい。
男の方は声が図太く、自然と腹から声を出せるタイプのようだ。
正直うるさい。
相手の女は奥さんか、女友達か。どうでもいいが、会話が耳に入ってくる。
「俺の前では偉そうに話せない奴がいる」
「俺くらい魚をきれいに食べる奴はいない」
「俺が思う最高のアニメは…」
まぁ酔客の話題だから、どうでもいい話なのは仕方がない。
というか、関係ない他人の話なんだから内容があろうとなかろうと関係ない。
そもそも人の話なんて、9割方どうでもいい内容である。
どうでもいいけど、声がでけぇんだよな…。
アンタがすげぇのはよくわかったよ。
やれやれ。と思いながら、テレビが付いていたので目線を上げる。
NHKの特集らしきものが放映されている。
老化したら何が困るか、介護士の視点から解説が入っていた。
「我々はおむつとは呼ばず、下着と呼んでいます」
ああ、そう。
今、飯食ってんだけどチャンネル変わらねぇかな。
テレビを見れば老化と下の話。
隣のテーブルからは「俺」の自慢話。
ふと、目線を廊下の奥に向ける。
廊下の先にはトイレがあり、トイレから男が出てくるのが見える。
あれは、名前知らねぇけど、うちの市議会議員だな。
俺は一応課長補佐だから議会にも出席する。
ゆえに議員に顔を覚えられている可能性はある。
トイレから出てきた市議会議員は、赤ら顔をこちらに向けた。
1、2秒、目が合う。
市議会議員はくるりと反転し、奥の座敷へ消えていった。
…ちっ。こりゃ見られたな。
こっちに来なくてよかったぜ。
挨拶するほど仲良しでもないし、
放っておこう。
この店は比較的安くて、この界隈では圧倒的にうまい。
界隈って、普通の意味…この近所って意味の界隈なのだが、
まぁこんな説明はいらんか。
なので、市の職員も良く来るし、市議もたまにいる。
俺ん家じゃないし、そこは仕方がないのだが。
どこに目をやっても、微妙に不快になる。
せっかくの定食が台無しである。
今日は何か良い事あったかな。
記憶に逃げてみる。
そういえば、朝、証券会社から電話があった。
よく来る証券会社だが、いつもの営業の人ではなかった。
誰だろう、本店の営業課だろうか。
「悪いニュースを見てしまいまして…」
一体何の話だ?
そしてお前は誰だ?
「御市の不祥事により、数千万円の損害が出たと新聞で見まして」
…何が言いたい?
「そこで私、挽回する解決策を考えましてね」
…こいつまさか、うちの市がミスしたニュースにかこつけて、
営業掛けようってんじゃねぇだろうな。
「13億円を債券で運用すれば、年間3,600万円の利息が得られます!」
…こいつ本気か?頭にウジでも湧いているのか?
・お前の市はミスをして損害を出したのを見た。
・うちの債券を買えば、利息で回収ができるぞ。
・これで損失補填ができるぞすごいだろう。
って言ってるよな?
こんなクソにもならん低次元な提案をするためにわざわざ電話してきたのか。
13億円も債券に変えたら、資金需要があったときに即時現金化できない。
いわゆる資金流動性が下がる。
年間3,600万円の利息って事は、恐らく20年国債。
満期償還まで20年も13億を凍らせられるか!
そもそもこのあたりの事情は担当営業には話をしている。
こいつ本当にあの超大手の証券マンか?
『本市の資金運用については会計課だけでは答えられない。
担当営業に聞いていただければご理解いただけると思います』
俺の口調は明らかにトーンが下がっていたが、
バカにバカかと伝えるわけにもいかない。
電話を切った後、深く息を吐く。
再び電話を手にする。
通話の相手は当然、当該証券会社の担当営業である。
電話で一通り状況を伝えると、遠方にいたようだが、
直接窓口までやって来た。
電話してきた残念な営業とは違い、担当営業は有能な人なので、
事態の深刻さを察したようだった。
そしてどうやら、あの失礼な営業は、担当営業の隣の席の社員らしい。
「ニュースの話題は出ましたが、まさか直接電話するとは…申し訳ありませんでした」
担当営業は平謝りだった。
『いや、別にいいんです。別にいいんですけど、
営業のやり方として不適切だと思いますし、
二度と電話させないようにお願いします』
もはや何が’別にいい’のか我ながらわからなかったが、
担当営業は肩を落として帰っていった。
…という、珍しいが嫌な出来事があったな。
記憶を探っても不快が連鎖するだけだったが、
目の前には美味しそうなカキフライ定食が俺を待っていた。
もう半分以上食べてしまったけど、
幸いまだ半分は残っている。
テレビはまだ介護の話題を続けていたので、
顔を上げないようにして、カキフライをひとつずつ味わって食べた。
半分のカキフライ
地下役人の仕事
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