記憶力増によいという日記の書き方

寝る前に一日をトレースして思い出すと、記憶力が上がるらしい。
なるほど、やってみよう。

今日は7時前に起きて、神棚の水と塩を替えて、軽くスクワットして、挨拶をする。
大体これが朝のルーチンになっている。ルーティンっていうのか、まぁ同じことか。

最近やたらと職場のエアコンが効いてるから、
長袖にしようかと悩むが、当面暑すぎるから半そでのワイシャツに袖を通す。
半そででもワイシャツなのか、ワイシャツって何だっけ、
どこがYなんだろう…まぁいい。

徒歩で5分程度で役所に着くが、日傘を差す。
折り畳みのちょっといいやつだ。
思いのほか、涼しい。

信号待ちで、切り替わるタイミングの直前から歩き出す。
信号待ちの連中全員を出し抜いたような気持になって、ちょっと楽しい。
しかし一歩目はまだ信号は赤なので、一瞬胸に来るものがある。

…なんだ?この気持ちは。

罪悪感か。
何かの動画で、夜中でも信号を守る方が良いとか言ってたな。
その理屈はよくわからない。
人の見ていないことろで道路交通法を守ることが、良いことなのだろうか。
道路交通法は事故を起こさないためのものだろう。
俺の信号フライング行為は、道路側の信号が赤になったのを確認して踏み出す。
当然車が止まっているのも確認しているし、狂った暴走車がいないことも視認している。

それでも信号を守る意味とは何だ?
どこか自己正当化の匂いもするが、俺の中ではこの信号のフライングはセーフである。
胸が一瞬うっとなるとは何の反応だろう。

職場に着いて、まずやるのは花瓶の水替え。
うちの職場には花が活けてある。
まぁ俺が勝手にやってるから、誰も世話をしない。
見かねた同僚が「交代制で世話をしてはどうか」と提案してくれたこともあったが、
断った。

なぜか。
みんな、やりたがらないから。
やりたくないものを制度化すると、必ず不満が出る。

俺は職場のカウンターに花を置くのは、結界だと思っている。
不思議なことに花を置くようになってから、
イカれた客が来訪しなくなったのだ。

会計課にイカれた奴が来ることは滅多にないのだが、
花を置く前は年に数回はおらぶ(叫ぶ)やつが来ていたものだった。
ところが花を活けるようになって数年経つが、
ほとんど、たぶん一度も来てない気がする。

まぁ、変な奴は来る。
いちゃもん付けたり、金払いに来ているのに、直前で渋ったり、
愚痴を言ったりはよくあることだ。

しかし、1時間も2時間も居座ったり、
威圧的だったりおらんだりする奴は来ていない。

向かいの市民課や別の部署でおらんでる市民の声が聞こえてくるから、
そういう人たちが絶滅したわけでもないだろう。

他所の職員からも、何で花を活けているのか?
って聞かれることもたまにある。

『なごむじゃろ』

って、抽象化した回答で済ませることが多い。
実際、効果があるのだからやっている。
偶然かも知れないが、これも実験である。

…ん。

朝から今までの出来事を書くだけのつもりが、職場に着くまででだらだら長くなってしまった。
こんなんで夜、寝る前の今までのことを書いていたら、長編小説になってしまうな。

もっと要約して書く方がいいか。

まぁいい。
思い出しながら書いていたが、途中から記憶じゃなくて今の思いを書いてしまった気もする。
こういう作業が脳に良いのか、途中から脱線したらよくないのかな。

職場の人間関係や、夕食時に母ちゃんから自分で片付けたリモコンが無くなったという電話がかかってきたりとか、書けることはたくさんある。
そういえば、お手伝いしている弁護士事務所から新しいAIツールの使い方の支援も頼まれてたな…。

とりとめがないな。それはいつものことか。
今日はこの辺にしておこう。

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